Peace full info by 平和と民主主義をすすめる左京懇談会


小説は世界への扉

『1941年.パリの尋ね人』『朗読者』『密告』

畑中ろまん

 1982年に民主府政奪還をめざして知事選挙に出馬され惜敗したもと京大の川口先生が生前こんなことを言われました。「法律というものは実体が変化し合わなくなって始めて改正される」と。魯迅の「もともと、道はなかった。人が歩いてそこが道となった」に相通ずるものがあります。なる程、私達は戦後ある程度の社会福祉や経済要求を実現させて来ましたが、生活実態が間に合わなくなって「これでは困る」と言う、やむにやまれぬ運動の結果、一定の改善が果たされたのだと思います。

 先日テレビで小泉首相の「自衛隊が軍隊でないと考える日本人など居ない(だから憲法を変える?)」と言う発言を聞いて、ぞっとしました。自衛隊は軍隊か否か、憲法違反か否かという議論を散々やった頃には「軍隊ではない」「警察予備隊だ」と苦しい答弁をして来た自民党が今や開き直って、何という論理でしょう。軍隊以外の何者でもないような実体を、国民の反対を押し切って作り上げ、だから憲法を変えるのだとは、「盗人猛々しい」としか言いようがありません。しかしこの「既成事実」は国民合意の上で作り上げられた実態ではなく、一方的、強引に作られた「既成事実」だということを認識しておく必要がありましょう。

 腹が立つテレビ番組は見ないようにして、私は本を読みます。今、戦争を放棄した筈の日本が加害者として戦争準備を始める様子を、不安と怒りで見つめる時、最近読んだ本が心に浮かび上がります。皆さんにもご紹介し、ご一緒に感想など語り合えれば幸せに思います。

(1)『1941年.パリの尋ね人』

パトリック・モディアノ著、白井成雄訳、作品社

 1941年、ナチの支配下にあったフランスのパリで、ドラ・ブリュデールという少女が寄宿学校を脱走し行方不明になり、両親が新聞に尋ね人の広告を出します。50余年後に(1998年)たまたまその古い新聞記事を目にした著者は、そこから当時のパリの街や人々の様子、中でもナチの迫害に苦しんでいた人々への想いが広がって行きます。そして、戦後世代の作家としていかに描くか、模索が始まります。ほぼ10年をかけてドラの足跡をたどる内に、様々のことが見えて来ます。

 ユダヤ人ドラはまだ15歳。本来なら青春を謳歌している年頃の少女が占領下のパリでどう生きることが出来たか、何故どこへ逃げたのか? 著者は沢山の文学賞も取った著名な作家ですが、このドラマをフィクションでなく、ドキュメンタリーでもなく、あくまで事実の調査に基づきリアルに描いています。パリの裏町を歩き回り、ドラの住んでいたアパートも、ドラの写真も見つける。最終的にドラも両親も強制収用所に送られたことが判明しますが、多くのユダヤ人収容所のようにガス室での末路だったのかどうか、解りません。

 作品ではナチの残虐が声高く告発される訳ではなく、淡々としているのが、かえって読む者の胸を打ちます。また、戦後育ちの作者がどう戦争と向き合おうとしているのかが読みとれます。

(2)『朗読者』

ベルンハルト・シュリンク著、松永美穂訳、新潮社

 学校帰りに気分が悪くなり、通りがかりの女性ハンナから手厚い介抱を受けた15歳のミヒャエル少年が、ハンナをしばしば訪ねる内に市電の車掌をしているこの母親程の年齢の彼女に恋心を感じ始めます。ハンナも拒まず、次第に二人は深い仲になって行きます。ハンナは少年ミヒャエルに会う度に本を読んでもらうのを喜びます。少年は次々と本を読んで聞かせますが、ある日突然ハンナが街を去り、行方不明となります。少年が大人になり結婚し、法律家となった頃、思いがけない所でハンナと再会します。

 それはどこで? ハンナは何者だった? 何故本を読ませた? 二人の関係は? 物語が意外な方向に展開し、読者は推理小説を読むような謎解きを迫られますが、勿論それが目的ではありません。物語は少年の性体験や恋愛が主要なテーマではなく、ごく普通の市民が戦時下でどんな風に翻弄されたかを描きながら、これも静かに戦争を告発しています。

(3)『密告』

ピエール・アスリーヌ著、白井成雄訳、作品社

 フランスではナチ支配下にそれに協力したビシー政府が一時期存在しました。ユダヤ人狩りに積極的に協力し、市民同士を反目させる密告制度を奨励しました。この著者も戦後世代の作家ですが、ある調べものの途中で突然自分の家系に関わる驚くべき文書を発見し、衝撃を受け、それから憑かれたように年月をかけて調査し小説にまとめました。パリの実在する街や店、実在した人々、実際に有った出来事から、戦時下での人間像をリアルに描き出しています。

 伝記作家の「私」と妻の従兄弟フシュネール一家の物語です。フシュネールはルーマニア系のユダヤ人で、堅実に毛皮の商売をしています。その一家を襲った「密告」。しかも密告者が何代にもわたって付き合って来たご近所同士だったら? 戦後も同じ町内で顔を合わせなければならないとしたら?何という酷い不幸でしょうか。何のために密告が行われるのでしょう。自分の安全を確保するため?何らかの恨み? 戦後彼らはどうなったか?

 楽しく軽い読み物をお求めの方にはお薦め出来ませんが、これらの作品はもしかすると明日の私たちかも知れないと考えさせられる作品です。戦後世代の文学者が戦争を描いた作品はヨーロッパには沢山有ります。親たちがしでかした戦争を子としてどう見るのか、どう償うのか、無視するか、特にドイツの青年達にはこうした苦しみが感じられます。

 日本では「済んだことは水に流す」と、過去をうやむやにする傾向、特に政治や外交の場でそれで切り抜けようとする傾向が顕著です。日本がアジアで行った侵略の反省や償いが未だにきちんとされていません。文学作品としても、戦争体験者がそれを語る作品は数多く有りますが、若者によるそれが多く有るとは思えません。作品が生まれる土壌――芥川賞や直木賞等、文学作品の評価のあり方――や、それを読む読者層が厚くないこと等が関係しているのではないかと思います。つまり、若者が有事法制を始め政治や社会に関心が持てないとすれば、それもまた大人の責任が大きいのかも知れません。

(日本民主主義文学同盟吉田支部)

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